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西所沢1号〜9号踏切
地図
OpenStreetMapで西所沢駅~小手指駅間を見る。
西所沢駅で西側に西武狭山線が分岐しているため西所沢1号踏切などは2つあるが、今回は西武池袋線を見ていく。
火車站創設碑
西所沢駅改札脇にある「小手指火車站創設之碑」。西所沢駅は大正4年(1915年)4月に開業した際には小手指駅という名称だったため、石碑には小手指駅(火車站は鉄道駅という意味に中国語)と彫られている。
そんな西所沢駅は2025/4/1から遠隔対応駅という位置付けになり、駅員は常駐せずインターホンで対応する形になった。
このページの写真はすべて2025/11/1撮影。
西1
駅北側にある西武池袋線の西所沢1号踏切。オートバイ通行禁止となっている。
奥には西武狭山線の西所沢1号踏切が見えている。
245編成
この日、西武狭山線にはツートンカラーの3ドア車新101系245編成が線内折り返しで運用についていた。
463
西武池袋線側の西所沢1号踏切から北側は東川(あずまがわ)が作る谷間を越えていくため、国道463号所沢青梅線は架道橋の下をくぐっている。
東川
国道の北側には東西に流れる東川が線路をくぐるトンネルがあり、その脇に高さ1.8mしかない道路が通っている。
六所神社
東川を渡ってすぐ左側にある六所神社。創建時期不明だが、地元上新井地区では信仰を集めているようで参拝する人が絶えなかった。
府中大國魂神社を勧請したものと伝わっている。
西2
西所沢2号踏切は廃止されて残っていないが、埼玉県立図書館所蔵の「所沢市全図」(東洋測量, 1957)をみると西所沢3号踏切のやや南側にある未舗装の行き止まり(西側から線路に向かっている)あたりがそれだったようだ。
東側
東側に回って見たところ。写真正面の草むらが踏切のアプローチだったと思われる。
西3
すぐ北側にあるのが西所沢3号踏切。線路の方が低くなっているため踏切は道路部分を掘り下げた位置にある。
西4
そこから西武池袋線がやや西寄りにカーブしていく先に見える上新井陸橋が廃止された西所沢4号踏切の跡。
歩道橋
南側から陸橋(歩道橋)を見たところ。行き止まりになっている道路の突き当たりに歩道橋が設置されているのがわかる。
もともとはまっすぐ踏切が通り抜けていたはずだ。
西5
西所沢5号踏切も廃止されている。西所沢6号踏切のやや東側にある行き止まりの道がそれ。
このあたりでは南側に東川の低地があり、線路南側の方が土地が低くなっている。
西6
南側から坂道を上って行ったところにある西所沢6号踏切。昭和32年(1957年)の所沢市全図では踏切を左手前から右奥へ斜めに渡る道路があって、そちらにも踏切があったように描かれているが踏切番号はない。
上新井跨道橋
西所沢7号踏切は廃止されて残っておらず、その位置はおそらく現在上新井跨道橋となっているアンダーパスのあたりと思われる。
西7
線路北側、跨道橋の西側にまっすぐ南に向かって線路にぶつかる道路があるが、ここが西所沢7号踏切の跡だろう。
踏切跡?
ところで、昭和32年の所沢市全図では跨道橋の少し西にある築堤付近に踏切があったように描かれている。
西8
次の西所沢8号踏切は車両通行止めで、北側からはかなりの坂道を上ってアプローチすることになる。
さきほどの踏切跡らしき場所でもこのように築堤を上っていたのだろうか。
ここも?
線路南側を西へ進んでいくと線路脇を通っていた道路が線路から離れる場所があるが、ここも地図では踏切があったように描かれている。
西9
次の西所沢9号踏切も築堤に上っていく形だが、南側から見ると小手指駅方向へ向かう側道から無理やり分岐して線路に向かっているように見える。
現在はここで小手指駅までの踏切は終わりとなっているが、踏切番号としては狭山ヶ丘駅手前の西所沢18号踏切まで「西所沢」となっている。
小手指駅(大正4年8月までは西所沢駅が小手指駅だった)は昭和45年(1970年)に信号所から昇格して駅になったため踏切番号の方が先に付いていたことになる(西武池袋線では練馬高野台〜石神井公園間も同様)。
ここから狭山ヶ丘駅までは別の機会に紹介しよう。
by Natrium