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西所沢10号〜18号踏切

OpenStreetMapで小手指駅〜狭山ヶ丘駅間を見る。
小手指駅は大正4年の武蔵野鉄道開業時には存在していなかったこともあり(旅客営業は昭和45年=1970年)、踏切番号は西所沢のままになっている。
また、小手指駅周辺の北野地区は昭和43年(1968年)から昭和52年(1977年)にかけて所沢都市計画事業北野土地区画整理事業が実施され、駅前では全面的に道路などが敷き直されたため駅の西所沢寄りにあった西所沢10号踏切と狭山ヶ丘寄りにあった西所沢11号踏切に関してはアプローチ道路を含め痕跡は完全に消失している。
(参考資料:所沢市立所沢図書館本館所蔵「埼玉県市街地図集」人文社, 1967)
小手指駅は大正4年の武蔵野鉄道開業時には存在していなかったこともあり(旅客営業は昭和45年=1970年)、踏切番号は西所沢のままになっている。
また、小手指駅周辺の北野地区は昭和43年(1968年)から昭和52年(1977年)にかけて所沢都市計画事業北野土地区画整理事業が実施され、駅前では全面的に道路などが敷き直されたため駅の西所沢寄りにあった西所沢10号踏切と狭山ヶ丘寄りにあった西所沢11号踏切に関してはアプローチ道路を含め痕跡は完全に消失している。
(参考資料:所沢市立所沢図書館本館所蔵「埼玉県市街地図集」人文社, 1967)

小手指駅北口の西所沢寄り、駅前の再開発により行き止まりとなっている道路(自転車駐輪場の一部として利用されている)の末端部に向かって取り残されているトマソン的な標識。
埼玉県市街地図集の所沢市全図を見ると、このあたりに西所沢10号踏切があったのではないかと思われるのだがまったく痕跡はない。
このページの写真はすべて2025/11/1撮影。
埼玉県市街地図集の所沢市全図を見ると、このあたりに西所沢10号踏切があったのではないかと思われるのだがまったく痕跡はない。
このページの写真はすべて2025/11/1撮影。

小手指駅北口ロータリーを抜けて西へ。小手指駅北口第3自転車駐輪場の手前に舗装されていない場所があるが、そこから線路方向を見たところ。地図との比較では写真奥あたりに西所沢11号踏切があったと思われる。

西武池袋線をまたぐ小手指陸橋の下、南側から見たところ。西所沢12号踏切はこのあたりにあったと見られる。
ここから西側には小手指車両基地が広がっており、車両基地ができる前に線路を南北に渡っていた踏切(西所沢13号〜15号踏切)は残っていない。
ここから西側には小手指車両基地が広がっており、車両基地ができる前に線路を南北に渡っていた踏切(西所沢13号〜15号踏切)は残っていない。

線路北側に回って小手指車両基地の入口へ。西所沢13号踏切はこのあたりにあったようだが、痕跡は見当たらない。
南側にあったはずの道路は砂川堀北野調整池の一部となっており、どこに道があったのかもわからない。
市街地図では13号踏切の西側にもうひとつ踏切があったような記載もあるのだが、位置も含め確定できないため最初の地図には記載していない。
南側にあったはずの道路は砂川堀北野調整池の一部となっており、どこに道があったのかもわからない。
市街地図では13号踏切の西側にもうひとつ踏切があったような記載もあるのだが、位置も含め確定できないため最初の地図には記載していない。

その少し東側にある砂川堀が、踏切の代わりに南北をつなぐ通路(地下歩道トンネル)として利用されている。
近くに踏切がなく、東側の小手指陸橋を自転車で渡るのにはかなりの高低差を上り下りしなければならないこともあって自転車でここを通り抜ける人が結構多いようだった。
近くに踏切がなく、東側の小手指陸橋を自転車で渡るのにはかなりの高低差を上り下りしなければならないこともあって自転車でここを通り抜ける人が結構多いようだった。

西所沢14号踏切へ向かう南側の道路は保育園の入口として利用されていて、道路としては機能していないように見える。
北側は車両基地に飲み込まれてどこにあったのかはわからない。
北側は車両基地に飲み込まれてどこにあったのかはわからない。

保育園の入口から西へ向かう道路を進んでいくと、線路にぶつかって左に曲がる場所に出る。
西所沢15号踏切はこのまままっすぐ進んだところにあったようだ。かつては線路北側で左側からくる道路とX字状にクロスしていたようで、空中写真ではそちらにも踏切があったようにみえるものの地図でははっきりしたことはわからない。
西所沢15号踏切はこのまままっすぐ進んだところにあったようだ。かつては線路北側で左側からくる道路とX字状にクロスしていたようで、空中写真ではそちらにも踏切があったようにみえるものの地図でははっきりしたことはわからない。

小手指車両基地西側にようやく現れる現役の西所沢16号踏切。写真は北側から見たところだが、道路は踏切を渡ってすぐに左(東)に曲がっており、奥に続く道のようなところは私有地(私道)ということのようだ。

残念ながら東急から来た車両はいなかったが、この日は6000系、30000系、40000系が並んでいた。東側には赤電塗装の新101系(おそらくは247編成)もいたのだが写真が撮れそうな位置が見つからず仕舞いであった。

次の西所沢17号踏切はかなり西側にあるのだが、その間に3カ所古地図で道路が線路を跨いでいる場所がある。
まずは一番東側の踏切跡らしき行き止まりを北側から見たところ。
まずは一番東側の踏切跡らしき行き止まりを北側から見たところ。

そのすぐ西側には、S字状のカーブをふたつつなげて無理やり西武池袋線をくぐっていく狭山ヶ丘跨道橋がある。完成は2008年だそうで、それまでは東西の西所沢16号、17号踏切まで回らないといけなかったようだ。
ふたつめの踏切跡は跨道橋西側(写真右端あたり)にあったと思われるが、位置としてはよくわからない。
ふたつめの踏切跡は跨道橋西側(写真右端あたり)にあったと思われるが、位置としてはよくわからない。

一番西側の踏切跡は線路南側にある所沢市立若狭小学校脇の行き止まりあたりにあったと思われる。北側にも行き止まりの道路がある。

西所沢17号踏切は歩行者専用となっている。

狭山ヶ丘駅手前の西所沢18号踏切は片側1車線のある意味普通の踏切だが、このあたりでは逆に珍しいかもしれない。