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南武線・南多摩〜府中本町
地図
OpenStreetMapで南多摩駅から府中本町駅までを見る。
南多摩駅から多摩川右岸は平成25年(2013年)に連続立体化された部分だが、多摩川左岸側も踏切は現存していない。
南多摩駅と府中本町駅の間には昭和3年(1928年)に南武鉄道が大丸(おおまる)駅から分倍河原駅まで延伸された際に開業した是政多摩川駅(昭和7年に南武是政駅に改称)があったが、国有化された昭和19年(1944年)に廃止されている。
是政多摩川駅のやや府中本町寄りから西に分岐しているのは是政多摩川砂利線で、現在郷土の森公園となっている付近で砂利採取を行っていた。
側道と崖
南多摩駅南側の側道から西側を見ると、大きな崖を削ってマンションの建設が進められている。
ここからの写真は2026/1/18撮影。
谷戸川踏切
駅西側を南北に通る東京都道9号府中街道が南武線をくぐるところに谷戸川踏切(踏切番号No.62)があった。矢野口駅東側からの連続立体化工事でこの踏切は平成25年(2013年)に廃止されているが、元は府中街道ではなく谷戸川沿いの里道が渡る踏切だった。
ちなみに稲城市には他にもいくつか谷戸川と呼ばれる小河川があるそうだ。
スタート地点
南武線の北側に東京2020オリンピック(コロナ禍で開催は2021年だが)の自転車ロードレースのオフィシャルスタート地点がある。
オフィシャルスタートとなってはいるが、自転車競技のいわゆるアクチャルスタート地点でここまで府中市の武蔵野の森公園からパレード走行してきた各車がここからレースを始める地点だったと思われる。
ところで、右の下から二番目にある「オネカン戦士稲城ペダリオン」というのは稲城市の公式キャラクターだそうだ。
是政橋
多摩川を渡る是政(これまさ)橋を見る。是政は多摩川左岸側、府中市内の地名で戦国時代の後北条氏家臣で小田原征伐後に対岸に移り住み開拓にあたった井田是政に由来するという。
多摩川橋梁
是政橋から上流方向の南武線多摩川橋梁を見る。
川崎から多摩川の右岸に沿って北上してきた南武線はここで右岸側にわたり、府中を経由して立川に向かっている。
村雨川橋梁
右岸に渡って府中街道を北に向かい、途中で南武線の下をくぐる村雨川ガード(南武線村雨川橋梁)へ。
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1952〜1958年)を見るとここが踏切のように描かれているが、国土地理院Webサイトで昭和16年空中写真(陸軍撮影)を見ると橋梁になっているので踏切ではなかったようだ。
ここからの写真は2026/1/26撮影。
是政多摩川駅跡
ガードの西側、武蔵野線の脇を通る道路から北向きに見たところ。写真奥の方で武蔵野線と南武線の間あたりに是政多摩川駅があったのだが、痕跡は何も残っていない。
踏切跡
是政多摩川駅北側にあった踏切跡を東側から見たところ。
道路は線路に突き当たって左(南)に曲がっているが、古くはここからまっすぐ踏切が南武線と砂利線を渡っていたようだ。
この写真は2026/4/19撮影。
砂利線踏切跡その1
さて、再び武蔵野線西側に回って是政多摩川砂利線の踏切跡を見ていこう。まずは先ほど是政多摩川駅の方を眺めた線路脇の道路が西に向かってくるところを東向きに見る。写真中央の丁字路あたりを南北(写真左右)に砂利線が渡っていたと思われる。
国土地理院Webサイトの昭和23年空中写真(米軍撮影)を見るとここに最初の踏切があった。
ここからの写真は2026/1/26撮影。
その2
砂利線の路盤は住宅地となって完全に消え失せているが、線路を渡っていた道路はそのまま残っている。
さきほどの道路からひとつ南側の道路を東向きに見たところ。手前の丁字路よりもやや奥に二番目の踏切があった。
その3
西側を南北に走る「ふるさと通り」を南側から見たところ。写真右側奥の住宅手前から左手前に向かって砂利線が走り、三番目の踏切があった。
郷土の森公園
砂利線はさらに西へ進んで府中市郷土の森まで伸びていた。おおよそ、写真左奥に見える体育館の右脇あたりまで線路があったようだ。
都電
郷土の森北東側にある府中市立交通公園には都電6000型が保存されているが、補修中のようだった。
D51 296
D51 296はだいぶ痛みが目立つ。
EB10 1
D51の後ろにはEB10 1が置かれていた。
中央自動車道
さて、ふるさと通りに戻って北へ。しばらく進むと中央自動車道が見えてくるが、その手前で道路が武蔵野線にぶつかって左に曲がる場所にまっすぐ道が伸びていて南武線の踏切があった。
地下道
北側から見たところ。踏切跡には南北に渡る歩行者用地下道が設置されている。
観月橋
いったん府中街道に出て矢崎町バス停付近を左に曲がると観月橋立体交差と書かれたアンダーパスがあるが、ここにもかつて踏切があった。
東京競馬場前駅
観月橋立体交差を西側に回って府中本町方向へ進むとすぐに矢崎町防災公園に出るが、その北側には下河原線の東京競馬場前駅跡がある。
昭和9年(1934年)に仮乗降場として開設され、戦時中の営業休止を挟んで昭和24年(1949年)からは通年営業の駅となったが、武蔵野線の開通に伴い昭和48年(1973年)に廃止された。かつては国鉄(日本国有鉄道)で最も長い駅名を持つ駅として知られていた。
南武線の東側に広がる東京競馬場には、踏切ではなく線路下の通路を通って行く構造になっていた。
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