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善福寺川周辺の水路敷群(和田堀公園〜善福寺川緑地)

OpenStreesMapで善福寺川左岸の和田堀公園から善福寺川緑地周辺を見る。
今回は和田堀公園駐車場から左岸の水路跡を五日市街道の尾崎橋まで見ていく。
今回は和田堀公園駐車場から左岸の水路跡を五日市街道の尾崎橋まで見ていく。

和田堀公園東側にある駐車場入口から善福寺川左岸を並走する水路の跡を上流方向に見たところ。
ここから下流については断片的に残っているので別ページを参照してほしい。
このページの写真は特に記載がなければ2025/10/17撮影。
ここから下流については断片的に残っているので別ページを参照してほしい。
このページの写真は特に記載がなければ2025/10/17撮影。

そのまま上流へ進んでいくと、道路が二又に分かれている場所に出る。
写真奥が上流からくる水路跡で、左は大成橋のやや下流寄りから流れてくる水路の跡になる。いずれも地籍図上で水路敷であることが確認できる。
この写真は2020/9/27撮影。
写真奥が上流からくる水路跡で、左は大成橋のやや下流寄りから流れてくる水路の跡になる。いずれも地籍図上で水路敷であることが確認できる。
この写真は2020/9/27撮影。

左の道を進むと、すぐに右側に釣り堀と食堂を営んでいる武蔵野園がある。
和田堀公園内にあるわけではなく、釣り堀の部分は公園外ということになっているようだ。
和田堀公園内にあるわけではなく、釣り堀の部分は公園外ということになっているようだ。

武蔵野園の前を通って善福寺川へ向かう。善福寺川では現在上流側の白山前橋から下流側の大成橋の間で護岸工事が行われており、この道は工事車両の搬入ルートとして使用されている。

善福寺川との分岐点は工事用フェンスで封鎖されていて入ることができない(車両搬入は写真右側に作られている臨時の道路を通っていく)。

さて、善福寺川と並走する水路跡の方を上流へ。公園が右側に張り出している部分で北から支流が合流してくる。

かつて金太郎の車止めがあった場所を通ってさらに上流へ。

成宗白山神社の下を抜けていく。

徐々に道幅が広がっていき、白山前橋の北側を過ぎる。交差点から先は善福寺川緑地に名前が変わり、地籍図では水路敷として描かれている。

交差点脇に文字が消えかかってしまっている「善福寺川公園こどもサイクリングコース」の看板。
サイクリングコースとしては対岸にある杉並児童交通公園内のコースと上流の成田下橋を通じてつながっているのだが、交通公園からこちらに出てくる子供はあまりいないようだ。
イラストが昭和…
サイクリングコースとしては対岸にある杉並児童交通公園内のコースと上流の成田下橋を通じてつながっているのだが、交通公園からこちらに出てくる子供はあまりいないようだ。
イラストが昭和…

写真奥にある車止めの向こうでサイクリングコースが左の善福寺川方向から合流してくる。

サイクリングコース側から合流場所を見る。自転車専用道路の標識があるが、ここから上流側は住民の自動車も通行しているようだ。

善福寺川緑地の脇をくねくねと曲がりながら進んでいく。

途中、北側の道から細い路地が水路敷に下りてくるが、地籍図を見ると道路として扱われている。

緑地の入り口になっている路地を越えたところにもう一本同じような細い路地があり、こちらも地籍図では道路として扱われている。
写真奥の道路は水路敷に並走しているのだが、道路側に水路があった様子はない。ただし、道路の向こう側は高台になるので古い蛇行跡とはいえるのかもしれない。
写真奥の道路は水路敷に並走しているのだが、道路側に水路があった様子はない。ただし、道路の向こう側は高台になるので古い蛇行跡とはいえるのかもしれない。

水路敷が北に向きを変えていくあたりで、右側から崖が迫ってくる。このあたりでは善福寺川本流がやや東寄りを流れており、西側の方が低地が広くなっている。

前の写真で路肩に「歩行者」と書かれている場所のすぐ先、右(東)に向かって道路が伸びていろ。奥の道路は左に曲がると崖を上っていくので、このあたりが一番水路敷と崖が接近している場所ということになる。

ところで、地籍図を見るとこの道路の反対側には水路敷が残っているのだが、国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)を見ると田んぼの畦道になっているのがわかる。(空中写真一番南側の水路敷)
善福寺川緑地の開園は東京都公園協会のページによれば昭和39年(1964年)だが、公園化する際にこの付近だけ田んぼではなく住宅が数軒あり、その脇を流れていた水路敷が地籍図にそのまま残っているようだ。
その後住宅部分も公園の一部となり、現在では水路の跡はよくわからない。
善福寺川緑地の開園は東京都公園協会のページによれば昭和39年(1964年)だが、公園化する際にこの付近だけ田んぼではなく住宅が数軒あり、その脇を流れていた水路敷が地籍図にそのまま残っているようだ。
その後住宅部分も公園の一部となり、現在では水路の跡はよくわからない。

その先でサイクリングコースは善福寺川に向かうが、水路敷は崖下の方を進んでいく。

崖下にある車止めの手前で舗装が微妙に異なっている場所があるが、空中写真では善福寺川から斜めに合流してくる支流があったあたりと思われる。そちらの痕跡は残っていない。
地籍図では水路敷はいったん善福寺川方向に逸れていて、正面の遊歩道は水路敷ではないが水路の跡ではある。
昭和20年代には左から支流が流れてきていたものを、昭和30年代に廃止して公園化たらしい。
北側の水路敷は写真奥のあたりで善福寺川方向に曲がり支流の方に注いでいたが昭和22年(1947年)の空中写真でも南北を直接つなぐ水路があったように見える。
地籍図では水路敷はいったん善福寺川方向に逸れていて、正面の遊歩道は水路敷ではないが水路の跡ではある。
昭和20年代には左から支流が流れてきていたものを、昭和30年代に廃止して公園化たらしい。
北側の水路敷は写真奥のあたりで善福寺川方向に曲がり支流の方に注いでいたが昭和22年(1947年)の空中写真でも南北を直接つなぐ水路があったように見える。

緑地入口になっている場所で右(東)側を見たところ。写真奥の階段あたりに標高40mの等高線が通っており、手前と奥で2m程度の段差がある。

そこから上流方向では水路敷横の擁壁に沿って道路が並走しているが、この道路はさきほどの緑地入口手前で行き止まりになっていて通り抜けはできない。

東側から道路がぶつかってくる場所には赤い車止めがあった。

そこから北へ進むとすぐに行き止まりとなる。
地籍図上の水路敷はフェンスの向こうに続いているが、その左側(善福寺川寄り)には緑地に入り込む形で5軒ほど民家がある。この宅地は善福寺川緑地ないにしか道がつながっておらず、出入りするには公園の中を通っていく必要があるようだ。
(なお、当然だが緑地が作られた方が後でこの一角には古くから民家があった)
地籍図上の水路敷はフェンスの向こうに続いているが、その左側(善福寺川寄り)には緑地に入り込む形で5軒ほど民家がある。この宅地は善福寺川緑地ないにしか道がつながっておらず、出入りするには公園の中を通っていく必要があるようだ。
(なお、当然だが緑地が作られた方が後でこの一角には古くから民家があった)

宅地の北側に回って五日市街道が善福寺川を渡る尾崎橋方向を見たところ。
善福寺川は尾関橋付近では東寄りに蛇行していたようで、写真奥のマンションとの境界線手前を流れ、柵に沿って写真手前方向へ流れていたようだ。写真右奥付近が東側水路敷が分岐していた場所だと思われる。
善福寺川は尾関橋付近では東寄りに蛇行していたようで、写真奥のマンションとの境界線手前を流れ、柵に沿って写真手前方向へ流れていたようだ。写真右奥付近が東側水路敷が分岐していた場所だと思われる。