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石神井川周辺の水路敷群(根村用水・稲付川)
住居表示街区案内図
国道122号沿いに建てられていた北区の住居表示街区案内図(右が北)で今回の稲付川(いなづけがわ)下流部分を見る。
稲付川は上流部分を根村用水で石神井川から導水し、姥ヶ橋あたりからは自然の流路を伝って赤羽駅東側で隅田川に注いでいる川で、稲付用水、中用水、北耕地川などの異名を持つ。根村は石神井川と分かれるあたりの地名、稲付は赤羽駅西側の地名で、太田道灌が築城した稲付城がある。稲付川はその城址の南側を流れている。
開渠
国道122号から下流の隅田川合流部分は開渠が残っているが、両側を工場の敷地に挟まれているため入っていくことはできない。
ここからの写真は2020/7/19撮影。
欄干
開渠が国道に潜り込むところには、橋の欄干が残っていた。
ガードレール
国道の西側は道路になっているが、歩道部分がかつては水路だったのではないだろうか。
工場裏
歩道はすぐに終わってしまうが、川跡は印刷会社の工場裏手を進んでいく。
くねくね
途中いかにも川跡らしいクネクネと蛇行したところを抜ける。
車止め
工場裏を抜け、旧神谷小学校、神谷中学校跡地に建設中の小中一貫校都の北学園の間を通る道路へ。
まっすぐ
工事現場の間を抜けてまっすぐに西へ進む。
稲田小
直線道路は稲田小学校のブールに突き当たっている。水路は小学校の敷地を通っていたようだが、そこは辿ることができない。
水路敷
稲田小西側の歩道橋からみると、西へ1ブロックだけ水路敷が残っているが、その先はマンション工事現場になってしまっている。
西中橋跡
水路敷の西端には、30年ほど前までそこにあった西中端跡の碑が置かれていた。ここでは北耕地川と読んでいたようだ。
ガード下
稲付川はマンション工事現場の西側で東北線のガード下をくぐり抜けていたはずだが、ここが水路敷なのかどうかはよくわからない。
ちなみに写真手前のを南北に走る道路だが、ここから大きなカーブを描いて東へ向かい、都バスの北営業所へ向かっている。
北営業所
ちょっと国道122号まで戻って都バス北営業所。
営業所の北側にある志茂東公園から国道の西側にある北清掃工場のあたりにはかつて鉄道省が建設した赤羽発電所があり、さきほどの道路は王子から発電所へ石炭を輸送する専用線だったのだそうだ。
水路敷?
ところでマンション工事現場の少し北側に、東北線ガードへ向かっていく車止めが置かれた細い路地があったのだが、これは水路敷だろうか。
地図その2
OpenStreetMapで稲付地区の地図を見る。
川跡
東北線のガードを抜け、旧岩槻街道の西側に川跡が現れる。
崖下
川跡は北側の崖下をくねくねと曲がりながら進んでいく。
南の崖へ
蛇行する川跡は南側の崖に向かっているが、もともとの谷筋は南北の崖の間にあったように思える。
崖下駐車場
南側の崖下に作られた駐車場。写真右側は谷が南側に食い込んでおり、かつては支流の湧き水があったであろうことが想像できる。
清水坂公園
駐車場のある崖の東側へ戻ったところには、清水坂公園を含む比較的大きな谷がある。
清水坂は谷の東側を切り通しで上る岩槻街道(旧日光御成道)の坂道だが、名前の通り崖から湧き水があったという。現在の公園は渓流をイメージして造成したものだそうだ。
崖
一方、駐車場西側の谷は少し規模が小さく、崖の上も下も住宅地になっている。かなりの高低差がある崖で、おそらくはこの谷にも結構な水量の湧き水があったのだろう。
谷
駐車場の反対側、北側に見える窪みのむこうには、北西から流れてくる支流がある。
谷筋
支流へ向かう途中。谷底に上流方向へ細い道があるのに気がついた。かつては谷底に水路があったのかもしれない。
幅広
谷を越えた向こうは幅の広い道路になっていた。
水路敷
道路を進んでいくと、右側に車止めと、奥へ進む水路敷を発見。
幅狭
水路敷はすぐに道路と並走する北西方向へ曲がり、そのまままっすぐ進んでいく。
トタン板
トタン板の塀で行き止まりか、と思われたが…
クランク
クランクとなっていて続きがあった。
マンション脇
クランクの先はマンション脇の小道になっているが、その先は住宅になっていて水路敷は失われているようだ。
鳳生寺
突き当たりを迂回するために西側の道路へ。そこは文明10年(1478年)建立、太田道灌の開基と伝わる鳳生寺の前を通る鳳生寺坂だった。鳳生寺は天正年間(1504〜21年)に当地へ移って来たという。
扉
さきほどの突き当たりの反対側には、水路敷をふさぐ扉があった。
水路敷
上流側には水路敷が残っていた。
谷頭
突き当たりの向こうは崖上の住宅になっており、このあたりが支流の谷頭になるようだ。
上流へ
さて、再び上流を目指して進んでいこう。古地図から見るとこの道路が水路の跡のようだが…
裏道
一本北側の裏道の方が、よほど水路敷らしい佇まいであった。
隙間
二つの道の間には、苔と雑草が生えた細道が渡っている。
舗装
こちらはコンクリ舗装された路地。
上り
裏道は途中で上り坂になってしまうので、写真奥の方は水路敷ではないのだろう。
くねり
やはり南側の道の方が水路の跡ということのようだ。写真奥では緩やかに道がくねっているのが見える。
埋もれた標識
進んでいくと、南側から崖が迫ってくる。ところで、矢印のところにはGoogle Street Viewで見ると通学路の標識があるのだが、すっかり草に埋もれてしまっている。
塀の上の猫
塀の上にいた猫と目が合ってしまった。
町境
十条仲原4丁目と上十条5丁目の境、水路跡の南側に谷がある。
谷
南へ向かう道路の西側に窪地があるのがわかる。
游鯉園の坂
道路を進んでいくと、二股の右は谷筋へ。左は「游鯉園(ゆうりえん)の坂」という名前が着いた急坂で、游鯉園というのは戦前まで坂の下にあった川魚料理屋の名前に因んでいるのだそうだ。
西から
谷の西側から游鯉園の坂を上った尾根を見る。狭いがそこそこ高低差のある谷だった。
合流
谷から水路跡に出てくる細道。水路敷なのかどうかはわからない。
もじゃハウス
崖下の家はすっかり蔦に覆われてしまっている。崖上の城壁の家とのコントラストがすごい。
歩道
この辺りでは、幅が広くなった道路の脇に歩道がある。歩道が水路敷なのかと思ったら、古い空中写真を見ると現在の道路中央が開渠になっていて、両側に道路があったらしい。
カーブ
歩道が終わったところで水路跡は急なカーブで曲がっていく。直進側は行き止まりで、突き当たりの向こうは現在では梅木小学校になっているが、戦前は陸軍の射撃場があった場所。
西が丘三ツ和公園
南に向きを変えた稲付川の水路跡は西が丘三ツ和公園の脇を抜けてゆるゆるとくねりながら進んでいく。
敷物店
敷物店が見えてきたところで、水路跡は再び西へ。
二又
道路が二又になっているが、行き止まりの標識がある左の方が水路跡。
行き止まり
左の道へ進むと、さらに行き止まりの標識があった。見た目は普通の道路なので、間違って入ってきてしまう車があるのだろう。
細
徐々に道幅が狭くなっていき、道路というより水路敷らしくなっていく。
上流端
環七通りの姥ヶ橋陸橋が見えてきたところで、河川としての稲付川(北耕地川)は上流端を迎える。
陸橋
上流端の階段を上っていくと環七通りの姥ヶ橋陸橋が空を覆っていた。
姥ヶ橋は稲付川の上流に開削された根村用水を渡る橋の名前だったようで、現在でも交差点の名前として残っている。
延命地蔵
環七の反対側にあるのが姥ヶ橋延命地蔵尊。毎年8/24には縁日がひらかれているのだそうだ。
陸軍用地
さて、ここで梅木(うめのき)小学校の西側にある支流の谷を最後に見ていこう。陸軍射撃場の造成で川筋は断ち切られてしまっているが、梅木小学校の西側から、西が丘サッカー場(味の素フィールド西が丘)の方向に谷筋が残っている。
梅木小学校西側の道路には、なんと「陸軍用地」と掘られた境界標が今も残っていた。
この写真は2021/2/27撮影。
水路敷
その境界標の向かい側に支流の水路敷が残されている。ここから上流へ向かってみよう。
ここからの写真は2021/2/23撮影。
歩道
西側の道路に出てきたところで、北に向かって道路脇にある歩道が水路敷の跡と思われる。
西が丘は旧町名の稲付西町の西を残して命名されたという地名で、一体は昭和の初めごろに区画整理されているため、やや西に傾いた形で南北に縦長な区画が並んでいる。
ギザギザ
次の交差点で水路敷は西向きになり、すぐに歩道が終わっている部分で住宅の間を北へ進路を変えている。
暗渠
水路敷の間に細い蓋暗渠が続いている。
北へ
途中で西に曲がった水路敷を出ると、今度は道路の東側に水路敷の跡らしき幅の広い部分がある。
西へ
次の交差点でまたもや西へ向かい、すぐに住宅の間を北へ向かう。
区画整理の前には直線的に川が流れていたのが古地図でわかるのだが、区画整理された時にジグザグに水路敷を整備したらしい。
お好み焼
お好み焼店の脇を水路敷が北へ向かう。
空き地
ここでも途中で水路敷は西に曲がっている。
一方通行
西が丘交番から南向き一方通行となっている道路に出た。このあたりから上流部分の水路はよくわからないが、谷筋は北の交番方向と、西のサッカー場方向に向かっているようだ。
兵器庫跡
一本西側の道路は建設中の赤羽北桜高校の敷地に突き当たる。ここから西が丘サッカー場のあたりは戦前の陸軍兵器補給廠(古地図では「兵器庫」とある)が置かれていたところで、戦後に米軍に接収されたのち、国立競技場として払い下げられた。
古地図をみると、どうやらここから上流の谷筋は兵器庫の建設で埋め立てられてしまったようだ。
路地
交番に向かう道を進んだ北側には、高校に向かう細い路地がある。ここが水路敷だったのかどうかはよくわからない。
by Natrium