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北沢川とその支流(赤鶴橋〜将軍池)
地図
OpenStreetMapで赤鶴橋から将軍池の間を見る。
中央を西から東に流れる北沢川だが、自然河川としては一番北側の流路で中央と南側の流路は人工の用水路だという。
今回は、北側の旧北沢川と中央の水路跡を見ていこう。
流路と橋名の推定には下記の資料を参考とした。
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
 -「東京府下松澤村全圖」(都築庸三/文化地圖普及會、1930)
 -「世田谷の河川と用水」(東京都世田谷区教育委員会, 1977)
 -「世田谷の地名:区域の沿革・地誌・地名の起源.上」(三田義春/東京都世田谷区教育委員会, 1984)
・「地図でみる世田谷」(世田谷区立郷土資料館, 2017)
・「世田谷の用水」(世田谷区立郷土資料館, 2025)
全国Q地図「東京都3千分の1地図」
赤鶴橋
北沢川緑道を赤堤通りの赤鶴橋から上流へ向かう。
ここからの写真は2025/8/2撮影。
江下山橋
すぐに南北に通る道路が渡る江下山橋に出る。
えがやま?
橋跡のたもとにある橋名碑には「えがやまばし」と書かれている。
江下山堀と水車堀で紹介したように、江下山という地名(字名)はもとは「えぎやま」だったものが訛って「えげやま」になったとされており、「えがやま」という呼ばれ方はしていない。ここだけ「えがやまばし」なのは誤記なのか、そう呼ばれていたのか、どちらなのだろう。
経堂赤堤通り団地東側
経堂赤堤通り団地の東側、きれいに整備された水路敷の遊歩道を北へ進んでいく。
親水公園
遊歩道の北側部分には「弁天橋せせらぎ通り」と名付けられた親水公園が造られている。
弁天橋
遊歩歩道の北端には、かつて弁天橋があった。
左内弁財天
弁天橋のたもとにある桜上水1-1遊び場に左内(さない)弁財天がある。上北沢村の名主であった鈴木左内家が祀ったものと伝わっている。
弁財天の脇に立つ看板によると、鈴木左内家の娘がここにあった井の頭池の龍神に見初められ、病を得たのちに池に身を投げたところ水面に巨大な蛇が現れ娘を水底に連れ去ったという説話が伝わるという。
旧北沢川
左内弁財天付近では大きく3本の水路が合流しているが、中央を北から流れてきていたのが旧北沢川の本流。現在は写真奥の方に見える日大櫻丘高校に突き当たって水路が追えなくなるが、高校敷地の北側に上流部分がある。右側(東)には桜上水駅方向から流れてくる支流が合流してくるが、こちらは機会を改めて見て行くことにしよう。
左内橋
水路跡が高校に突き当たるところ。
「世田谷の用水」によればここに左内橋があった。
左側
左側(西)から合流してくる分流は左内弁財天の西側を回り込んで北沢川緑道に合流している。
弁財天の前から分流の上流方向、北へカーブして行く道路を見る。地籍図では道路左側に水路敷があるので、歩道部分がそれと思われる。
ここからの写真は2025/8/4撮影。
保育園前
北へ進んで写真奥に保育園が見えてきたところ。
分流は保育園の東側に出てきていた。一方、保育園から西には水車堀の分流が合流してきていた。
用水路
保育園の脇に出てくる用水路跡の歩道。ここから3本並走して流れていた北沢用水の中央にある流れをさかのぼってみる。
遊歩道
保育園の裏手で用水路は遊歩道になっていた。
中学校脇
世田谷区立緑丘中学校と日大櫻丘高校の間を水路敷が通り抜けて行く。
車止め
中学校北側で車止めのある交差点を越える。
グラウンド脇
高校グラウンドの脇を抜けて行く。左(西)側が高くなっているのがわかる。
地籍図では写真奥の方でグラウンドになっている部分に蛇行している水路跡があるが、現在の水路敷は左寄りをまっすぐ進んでいる。
八幡下橋
グラウンドの北側で道路を渡るところに八幡下橋があった。
地籍図では道路北側を東(右)に向かって分かれて行く水路敷があり、桜上水から流れてくる支流まで流れていたようだ。
月見橋
一方、グラウンド北側には東側を流れる旧北沢川本流の水路敷も出てくる。ここには月見橋があった。
境界標
道路南側の歩道には「日大」と彫られた境界標が並んでいた。
郵便局
旧本流の方を進んでみよう。荒玉水道道路の郵便局脇に出てくる。
地籍図には水道道路手前を左へ向かう水路敷があるが、見た目何も残っていない。
西へ
郵便局の脇から西へ向かって桜上水五丁目アパートの北側道路(むつみ会館通り)を進んでいく。
桜上水公園
北沢川左岸側(右)に桜上水公園がある。
支流
桜上水公園の西側に、玉川上水から分水して上北沢駅東側を流れてくる支流が合流している。
ここは機会を改めて見て行くことにしよう。
車止め
公園の先で再び道路と分かれ遊歩道になる。交差点から左(南)に向かっていく道にも地籍図では水路敷があり、中央の用水路とつながっている。
ここからの写真は2025/8/17撮影。
赤鉛筆
遊歩道を進んでいくと左奥に大きな赤鉛筆が立っていた。民家なのかアトリエのような工房なのか特に情報もなくよくわからない。
道路脇
赤鉛筆の先でまた道路の脇に水路敷が並走する。幅の広い歩道には、玄関ごとに車止めが林立していた。
未成道
途中、南側から赤堤通りの未成道がぶつかってくる。赤堤通りは世田谷区の主要生活道路として位置付けられているが、ここから北側(写真手前)はまったくの未整備区間で路線も確定していない。
細道
上北沢公園通りの手前でいきなり道路と分かれ細道になっている。
上北沢公園通り
上北沢公園通りに出て、道路右側を水路敷が京王線方向から伸びてきている。
将軍池公園
通りを進んでいくと将軍池公園が見えてくる。
将軍池
将軍池は北沢川の水源の一つとされているが、案内看板によれば池そのものは大正10年(1921年)から大正15年(1926年)にかけて人工的に造成されたもので、造成作業に参加した松沢病院の患者の一人が「将軍」を自称していたことから将軍池の名がついた。
池の中心部には加藤山(作業を指揮した医師の名前を取ったそうだ)という人工の小山があるが、当初富士山型に造っていたものが造成中に関東大震災に見舞われ、なだらかな山になってしまったという。
並木
最後に八幡下橋まで戻って3つの流れの中央にある用水路跡をさかのぼってみよう。
並木の間を荒玉水道道路に向かって進んでいく。
水道道路
水道道路を越えて桜上水五丁目アパートの南側の道路脇を西へ。
谷
左(南)側が若干高くなっているのがわかる。
はみ出し
車道にはみ出してきている土地で急に細くなっているが、車道側を拡幅していったなかでの未買収地だったようだ。
ちなみに地籍図での水路敷は車道北側と歩道部分をゆるやかに蛇行しながら流れている。車道は西側に車止めがあって西側からは車両が入れないようになっている。
高s店
右(北)側を流れる北沢川との間に水路敷がある交差点に出た。
西側
いったん道路が途切れるが、西側で再び道路脇に出る。
幅広
途中でやたらと歩道の幅が広くなる場所があるが地籍図では水路敷が右側奥のアパートに突き当たって途切れており、「松澤村全図」でも左(南)へ迂回する道路と違いまっすぐ流れていたように見える。
赤堤通り
南に迂回する道路を回って上流側、赤堤通りの丁字路の先には東京都医学総合研究所の建物が見えており、水路としてはそこまでしか辿れない。「松澤村全図」や地籍図を見ると、その先は将軍池から流れてきていたと思われる。
フェンス
研究所の手前で南側の水車堀方向から来る水路敷が合流している。
赤堤通り東
ところで、赤堤通りの手前(東)側にも用水路跡に合流してくる水路敷が残っている。地籍図や空中写真では写真奥の方で途切れているが、そこから西に曲がっていくと赤堤通りを横断する部分だけ水路敷が残っているので、途切れたところで西から曲がってきていたと思われる。
ここからの写真は2025/8/20撮影。
上流端
赤堤通り西側でも水路敷は途切れているが、医学総合研究所前に出てくる水路敷が残っている。こちらも上流(写真手前)はおそらく将軍池から流れてきていたのだろう。
by Natrium