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烏山川周辺の水路敷群(弁天橋〜葭根大橋と船橋一丁目の支流)

OpenStreetMapで船橋一丁目付近を見る。
今回は烏山川緑道を弁天橋から葭根大橋まで見ていくのに合わせ、都立千歳丘高校東側で烏山川に合流している支流を見ていく。
今回は烏山川緑道を弁天橋から葭根大橋まで見ていくのに合わせ、都立千歳丘高校東側で烏山川に合流している支流を見ていく。

弁天橋北側にある「おさんぽ広場」。烏山川緑道は広場西側を通っている。
この写真は2020/11/22撮影。
この写真は2020/11/22撮影。

一方、地籍図では弁天橋跡に森繁通り北側から水路敷が合流している。水路敷は一見左の歩道かと思うが道路右側にあり写真奥の団地(フレール西経堂)入口までしかないが、団地は烏山川左岸の低地に立地しておりおそらく古くは団地内を流れる烏山川の分流があったのだろう。
国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)を見ると、それらしい流れが見える。 ここからの写真は2026/2/9撮影。
国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)を見ると、それらしい流れが見える。 ここからの写真は2026/2/9撮影。

弁天橋跡の森繁通り南側からも合流している水路敷(道路左)がある。

すぐに坂の手前で右に曲がって広い歩道のある路地へ。地籍図では手前では歩道部分に水路敷があるが、途中で左に移り写真奥の都立千歳丘高校の敷地に突き当たる。その先高校敷地内で水路敷の上流部分と思われる区画は途切れるのだが、国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)を見ると船橋観音堂の方から流れてくる支流があったように見える。
そちらには後で行ってみよう。
そちらには後で行ってみよう。

おさんぽ広場に戻って緑道を北へ。すぐに緑道が道路から分かれている場所に出る。
ここからの写真は2020/11/22撮影。
ここからの写真は2020/11/22撮影。

烏山川に船橋一丁目の支流が合流してくる欅門まで来た。まずは支流の方を見ていこう。

「欅門」と書かれたプレートがある支流の出口。下流部分は「船橋の小径」として整備されている。

千歳丘高校の北側をまっすぐ進んでいく小径。古地図を見ても川筋としては描かれていないが、高校の敷地が谷の出口だったようで、現在の小径はその北端を通っていることになる。

小径の北側は崖になっている。

校庭の北西を回り込むように小径は南へ向かう。写真は上流側からみたところで、崖側は鋼矢板で土留めされている状態。

南へ進む途中に舟形の花壇が設置されていた。

池田児童遊園内にある船橋地区会館に突き当たる。

地区会館側から下流方向を見る。こちらには「桜門」という名前が付けられていた。

池田児童遊園の東側にある船橋三丁目能勢公園。元は民家の敷地で、唐突に置かれている門扉は当時の面影を残すために保存された門だそうだ。
その右側、池田児童遊園との間にある道路右側に水路敷がある。地籍図上の水路敷は千歳丘高校に遮られて終わっているが、さきほども書いたようにかつては弁天橋南側の水路敷とつながっていたのではないかと思われる。
ここからの写真は2026/2/9撮影。
その右側、池田児童遊園との間にある道路右側に水路敷がある。地籍図上の水路敷は千歳丘高校に遮られて終わっているが、さきほども書いたようにかつては弁天橋南側の水路敷とつながっていたのではないかと思われる。
ここからの写真は2026/2/9撮影。

水路敷は船橋観音堂前の交差点を越えて続いているが、道路上にそれらしい痕跡は見当たらない。

水路跡近くにある船橋観音堂。広い敷地にポツンと御堂が立っている感じだった。江戸時代中期の創建とされ、本当の観音堂は写真に映っている御堂の中に安置されているのだそうだ。
ここからの写真は2020/11/22撮影。
ここからの写真は2020/11/22撮影。

一方地区会館の西側には、さらに南へ向かう水路敷があった。

蛇行しながら進んでいく。

道路に出たところで下流方向を見る。水路敷として通行できるのはここまでで、ここから南側では通行可能な水路敷はない。

船橋観音堂の交差点に戻って、上流へ向かって東側の道路を歩いていく。途中左(東)側が擁壁になっている場所があり、谷間を歩いていることがわかる。
ここでも地籍図では道路右側に水路敷が描かれている。
ここでも地籍図では道路右側に水路敷が描かれている。

道路右側はところどころセットバックされているので、地籍図上の水路敷がどのあたりにあるのかはよくわからない。
ここからの写真は2026/2/10撮影。
ここからの写真は2026/2/10撮影。

急に道幅が広がったところで交差点に出る。地籍図にはさらに南側の道路(写真正面)にも水路敷が描かれている。

ここで西側の水路敷下流側を見たところ。入っていくことはできないが、空中写真でみるとここからかなり北側まで水路敷が残っているようだ。
ここからの写真は2020/11/22撮影。
ここからの写真は2020/11/22撮影。

南側も水路敷が残っているが、入っていくことはできない。この先、水路敷は西に向きを変えていく。

東側の道路も水路敷は大きく西へ向きを変えていく。
ここからの写真は2026/2/10撮影。
ここからの写真は2026/2/10撮影。

西へ進んでいくと北に分かれる丁字路があるが、地籍図上での水路敷はここが上流端となっている。直進側は北にカーブしたあと行き止まりとなっていて、もともとはそこからの流れがあったようにも見えるが昭和22年の空中写真では道路ではなく右奥の住宅あたりに水路があったようだ。

丁字路を右(北)に曲がって西側水路敷の下流側を見たところ。こちらの方がむしろ川幅が広がっているように見える。
ここからの写真は2020/11/22撮影。
ここからの写真は2020/11/22撮影。

フェンスのところから奥の川筋を下流方向に見る。左(北)側のほうが高くなっているように見える。

西側もフェンスで通行止めになっている。

ここから水路敷は北に向きを変えていく。塀から出ている排水管は現役なのだろうか。

上流端はマンションとマンションに挟まれた空間として残されているが、写真右端のゴミ集積所に阻まれてよくわからない。空中写真で見ると集積所の裏まで水路敷が伸びているのがわかる。

さて、ここで終わりだと思っていたのだが、地籍図を確認すると前の写真右側に進んだところにあるマンションの脇に、荒玉水道道路をまたいで環状八号線の成城警察署向かい側から始まる谷戸川最上流部から分けられた水路があるのに気がついた。
ここからの写真は2026/2/10撮影。
ここからの写真は2026/2/10撮影。

路地が急に狭くなった先に荒玉水道道路と交差する場所がある。

水道道路西側は車止めのある水路敷になっている。。

谷戸川からの分岐点まで来た。かつてはここから水を分けていたのだろうか。

OpenStreetMapで弁天橋から葭根大橋までを見る。

欅門までもどって北へ。緑道は道路と分かれ西寄りに。
この写真は2020/11/22撮影。
この写真は2020/11/22撮影。

進んでいくと西経堂児童遊園がある。
ここからの写真は2026/2/4撮影。
ここからの写真は2026/2/4撮影。

烏山川緑道は児童遊園の北へ向かうのだが、西側の崖沿いにも遊歩道がある。地籍図にはここから水道道路まで水路敷が描かれているのでこちらに寄り道してみよう。

遊歩道が終わったところで水路敷の左右に道路があり、水路敷部分に並木がある。写真ではわかりにくいが並木の部分は左右よりも若干凹んでいる。
ここからの写真は2026/2/9撮影。
ここからの写真は2026/2/9撮影。

地籍図上の水路敷は水道道路の手前までだが、元の水路はさらに西側から流れてきていたようだ。

水道道路の西側。希望丘小学校のブール脇を通っていく崖下の道は水路跡らしくクネクネと曲がっている。

小学校校庭の脇にある船橋本村公園のところで水路跡の道路は北に曲がるが、全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)では写真奥から流れてきた烏山側の分流がここで公園の方に折れ、烏山川に合流するよう描かれている。
この分流は希望ヶ丘団地や希望丘公園の中に埋もれてしまっているため残っていない。
一方写真左側には西に向かって喰い込んでいく2本の谷筋があり、手前側の合流部は住宅になってしまっている。
この分流は希望ヶ丘団地や希望丘公園の中に埋もれてしまっているため残っていない。
一方写真左側には西に向かって喰い込んでいく2本の谷筋があり、手前側の合流部は住宅になってしまっている。

裏側の路地。地籍図では確認できないが、全国Q地図の東京都3千分の1地図(1959〜1960年)には水路跡のようなものが見える。

突き当たりの少し西側から南へ向かう路地が左に曲がっているあたりが谷頭になっている。

2本目の谷筋は小学校脇をさらに西へ。

小学校西側の小高くなっている部分にある桜満(おうまん)観音。右にある祠と左にある鳥居の向きが合っていないのは、鳥居の奥にある木の影にもう一つ祠があるためだ。

谷筋は谷頭に向かってやや左へカーブしている。

谷筋は船橋希望中学校に突き当たったところで谷頭となっているようだ。

西経堂児童遊園まで戻ってきて烏山川緑道を上流へ。児童遊園北側には入田橋があった。
ここからの写真は2020/11/22。
ここからの写真は2020/11/22。

団地の間を通っていく緑道。写真奥のベンチがあるあたりに中之橋があったが、現在ははっきりとした跡はない。

中之橋があったあたりには手書きの看板が設置されている。

烏山川と荒玉水道道路が交差するところに船橋大橋があった。
この付近で北側の分流がいったん合流し、再び別れていたがその跡は残っていない。
この付近で北側の分流がいったん合流し、再び別れていたがその跡は残っていない。

道路と並走する緑道。

次の交差点には「希望丘大橋」と書かれた銘板が設置されていた。1960年代の地図ではここに南北から分流が合流していたが、その跡は残っていない。

希望丘小学校の東側を通って希望丘通りに出たところに葭根大橋があった。今回はここまでとなる。