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神田川周辺の水路敷群(上水橋~べんてんばし公園)
地図
OpenStreetMapで神田川環七交差付近を見る。
今回は環状七号線をまたいでいた左岸側の旧流路を見ていこう。
たつみ橋西側
上水橋に行く前に、ひとつ下流側にあるたつみ橋の西側、右岸に神田川の蛇行跡が上水橋緑地として残されている。神田川に合流する排水路は現役のようだ。
このページの写真は2021/4/17撮影。
玉砂利
上水橋緑地は玉砂利で水路をイメージした舗装が施されている。陽当たりもよく、環七のすぐそばにあるがのんびりするにはよさそうだ。
分岐
旧流路は上水橋の西側で現在の流れと分岐している。
上水橋
右岸(南)側から上水橋を見る。左岸側のたもとに大きな排水口が見える。
身代り地蔵尊
左岸側のインターロッキング舗装を進んでいくと東雲寺の向かいに身代り地蔵尊がある(写真右)。天正元年(1573年)に造立されたと伝わる。
写真左の道を進んでいくと環状七号線に交差するが、ここは水路跡ではない。
神田川取水施設
環七西側の神田川沿いには、神田川の洪水を取り込み環七の地下に作られた貯水トンネルに送り込む取水施設が作られている。
橋
環七西側の歩道には、今回見ている流路にかかる橋の欄干が残っていた。東側の欄干が残っていないのは、環七が拡幅されたときに道路に飲み込まれてしまったかららしい。
昭和22年の空中写真を見ると、かつてはここから現在の環七沿いに神田川に向かって水路が合流していたらしい。
蓋暗渠
橋から西側を見ると、かなりの高低差があるが上流から蓋暗渠がつながっているのがわかる。
突き当り
蓋暗渠側に回り込んで環七方向を見たところ。かつて橋の下を潜り抜けていたであろう水路は封鎖されている。
旧流路
途中分岐している水路敷を下流側から見たところ。古地図ではこちらが旧流路になっている。
通行可能
そこから上流側は歩道として通行可能なように整備されているが、崖下は藪になりかけているようだ。
階段
右(北側)はかなりの高低差がある階段になっている。蓋暗渠はこの先で終了となる。
大谷石
水路敷は道路北側の歩道部分と思われる。崖は大谷石で擁壁が作られており、そこそこ古い時代のものと推測される。
ゆらゆら
歩道はすぐに仕切りがなくなり、そのまま道路はゆらゆらと蛇行しながら進んでいく。
車止め
途中で改めて車止めにより車両通行止めとなる。
神田川へ
車両通行止めの道が神田川に向かって曲がっていくところを北側の道路から見る。
べんてんばし公園
神田川との分岐点にあるべんてんばし公園を下流方向に見たところ。弁天橋自体はここから下流に向かったところにあるが、河川改修時にできた河川敷を利用して作られた公園だそうだ。
水路敷下流端
続いて、これまで見てきた水路跡と途中で分かれて神田川に向かう水路の跡を見ていこう。
地籍図では、神田川取水施設の敷地内と西側の泉南緑地脇に4ヶ所水路敷が神田川に向かって出てくる場所があるが、東側3ヶ所は取水施設と緑地部分となっていて失われているので、そこから上流側の道路に出てくる部分を探す。
ますは取水施設北側に残る水路敷の下流末端部分。写真奥に向かって地籍図では水路敷があるのだが、現在は取水施設の建屋が建っている。
ここからの写真は2025/10/17撮影。
上流へ
そこから西に向かって水路敷を上流へ進んでいく。地籍図では概ね道路中央(車道の左側歩道寄り部分)を通っているように見える。
道幅
途中で突然道幅が広くなるが、左(南)側の張り出した部分が水路跡なのではなく、水路敷としては元の幅の道路の方にある。
水路敷は写真奥の電柱先で右に曲がっていく途中、住宅地の敷地となりいったん消えている。
北
ひとつ北側の道路に回って直角に曲がるところで北を見たところ。写真の道路中央部分が地籍図では水路敷となっている。
写真奥の丁字路がさきほどのべんてんばし公園から来る水路跡だ。
泉南緑地
最後は泉南緑地周りの水路跡。泉南緑地北側で道路が北に曲がるところを下流方向に見たところ。地籍図ではここからまっすぐ進んで神田川取水施設の敷地内で南に曲がって神田川に出る水路敷(地籍図上は神田川の出口付近のみが水路敷として描かれている)と、すぐ先の取水施設との境目を南に向かう水路敷(地籍図上は同様に出口付近のみ)があったようだ。
緑地が嵩上げされているため下流側に痕跡は残っていない。
緑地北側
そこから振り返って緑地北側の道路を西へ。地籍では水路敷とはなっていないが、出口との関係からここが水路だった可能性は高そうだ。
旧水路
神田川にかかる方南第一橋から泉南緑地西側を北に見たところ。
1952-63
全国Q地図の東京都3千分の1地図を見ると、1950年代にはここに出てくる水路があったのが、1963年頃(マウスオーバーで表示)には出口の位置が変わり、上流側の水路も一部が消えているのがわかる。
新水路
西側にある1963年頃の水路跡。ここは地籍図上も水路敷として描かれている。
西へ
突き当たりを西へ。1950年代の水路は写真奥で道路が右(北)に曲がるところにまっすぐ合流してきていたが、現在はマンション敷地になっており合流点付近の水路跡は失われている。
北へ
マンションの前を曲がって北へ。ここを流れていた水路は1967年の地図では道路になっている。
分岐
そのまま北へ進んでいくと、べんてんばし公園から来る水路跡との分岐点にたどり着いた。
旧水路
最後に1950年代の旧水路上流側を見ておこう。
べんてんばし公園からの旧流路側から、水路を下流方向に見たところ。水路跡の道路は写真奥のマンションまでまっすぐ進んで途切れている。
この写真は2025/10/18撮影。
by Natrium