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神田川周辺の水路敷群(相生通りの旧流路)
地図
OpenStreetMapで相生通り付近を見る。
相生通り付近にはかつて神田川(旧神田上水)の左岸側をショートカットする形の支流があった。今回は東京工芸大学中野キャンパスの前で旧神田上水から分水していた旧流路を見ていこう。
なお、旧流路については公益財団法人特別区協議会所蔵の地図「東京府豊多摩郡中野町全図」(東京逓信局, 1926)を参考とした。
隙間
先に相生橋下流、左岸側の神田川蛇行跡を見ておこう。マンションの間にある空間が蛇行跡だが、神田川寄りは民家敷地になっていて水路の跡はない。
このページの写真はいずれも2025/4/16撮影。
行き止まり
相生橋西側の道に入ってみると、東西にカーブしながら行き止まりとなる路地がある。写真は上流側の路地を見たところだが、写真手前では左側、写真奥では右側の住宅あたりが蛇行跡だったようだ。
このあたりは相生通りを含む中野区第二土地区画整理組合の事業地域からは外れており、相生橋から上流側の神田川流路がまっすぐに整理された昭和4年(1929年)の中野町全圖(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)でも蛇行した状態で掲載されている。
相生通り
相生橋から相生通りを上流方向(西)に見たところ。先ほどの写真は手前の丁字路を右に曲がったところにあり、蛇行跡はその次の丁字路手前に出てきていたと思われる。
イタリア料理店
蛇行跡が現在の神田川から離れて北に下ってくるあたりにはイタリア料理店が入るマンションがあるが、水路の跡は残っていない。
その料理店のあたりで西から流れてくる相生通りの支流が合流していた。支流の方は山手通りの東側では相生通りよりも南側を流れていたようで、住宅地になっていて痕跡は残っていない。
東京工芸大学通り
山手通りの西側では通りの名称が東京工芸大学通りに変わるが、支流はおおむねこの通り沿いを東京工芸大学あたりから流れてきていた。
写真右端に「左 十二社」と書かれた道標が見えるが、写真右側には中野長者と呼ばれた鈴木九郎が開基した曹洞宗成願寺がある。
くねくね
くねくねと蛇行する通りを西へ進む。
なお、この支流は中野区第二土地区画整理組合の事業が始まった頃(昭和初期)にはすでに廃止されていたようで、前述の昭和4年中野町全圖にも記載がない。
階段
東京工芸大学東側の道路を北に向かって見たところ。写真奥に崖があり、かなりの高低差があるのがわかる。
東京工芸大学
東京工芸大学の前を通る。東京工芸大学は小西六本店(のちの小西六写真工業、コニカ、現在はコニカミノルタ)創業家の七代目杉浦六右衛門によって設立された小西寫眞専門学校が前身で、東京写真大学と名乗っていた時期もある。
皐月橋北詰
支流は皐月橋北側の写真中央にある丁字路左あたりで旧神田上水から分かれていた。
ここから上流は旧神田上水の蛇行跡になるので、中野区第二土地区画整理組合の事業を見ていく時に改めて紹介していきたい。
菖蒲橋
最後にここも中野区第二土地区画整理組合の事業からは外れていた菖蒲(あやめ)橋近辺の蛇行跡を見ておこう。
相生橋のひとつ上流側にある菖蒲橋を左岸の上流側から見たところ。写真手前に公園があるが、そのあたりで神田川は大きく蛇行し、菖蒲橋あたりでUターンして手前に戻ってくる形で流れていた。
右岸側
菖蒲橋から右岸の上流側を見たところ。神田川は写真右奥からUターンしてきてこの辺りを逆向きに流れ、菖蒲橋でUターンして下流へ向かっていた。
写真右奥の上流側は住宅地になっていてそれらしい痕跡は見当たらない。菖蒲橋南側からの上流部分は中野区第二土地区画整理組合の事業を見ていく時に改めて紹介していきたい。
by Natrium